負けることから始める、真の勝利への道

絶望は賢者への道


仕事も家庭も順風満帆。
特に借金もなく、収入も安定。
そんな絵にかいたような幸せな家庭生活をおくる人が、突如自殺したりすることが稀にあります。
周囲からすると、「何故?!」「どうして?!」という疑問を感じずにはいられないでしょう。

そもそも人間として生まれ、生活する中で、もっとも「幸福」と感じる瞬間は人それぞれですが、決して生活の安定や収入の多寡ではないのは周知の事実です。
では、幸福感とはなんでしょうか?
別のコラムでも書きましたが、人は過去の記憶と比較して今を評価しています。
例えば、現在の生活は裕福か?という質問に対して、「裕福である」と回答した人は、以前、貧しかった自分と比べて今はどうかを評価します。逆に「裕福ではない」と回答した人は、以前の自分は、今よりさらに裕福な生活を経験していたと想像できるわけです。
そういった評価とは別に「幸福感」というのは、物差しで測ることができません、非常に抽象的な感覚で個人の主観によって変容し、定義ができないのです。

敗北研究所が考える幸福感とは、「人から必要とされて、自分の存在意義を感じる瞬間」と捉えています。

もし仮に、世界にあなた一人しかいなかったとしたらどうでしょう、その世界では見栄や体裁、収入など何の意味もないことです。ましてやそんな世界で長生きしたいと思う事さえないのではないでしょうか。

「幸福感」・・・それは人から必要とされ、貢献したいという気持ちを持てる瞬間なのではないかと思うわけです。
どんなに貧しくとも、どんなに苦難にさらされていても、どんなに多額の借金があろうとも、人から必要とされている間は、生きて頑張りたいと思うのが人間であり、きっと全ての生物はそのようにプログラムされているのではないかと思うほどです。

絶望とは、この「人から必要とされる」ことが無くなった時に訪れる感情で、生きていて何の楽しみもない状態、自分の向かう方向さえ分からない状態だと言えます。

ややスピリチュアルな実験をした方がおりますが、水を張ったコップの中にお米の粒を入れ、これを3つ用意し
1つ目のコップには「愛しているよ」とか「今日もありがとう」という言葉をかけました。
2つ目のコップには「馬鹿野郎」とか「お前なんか嫌いだ」という言葉をかけました。
3つ目のコップには言葉をかけず、無視をしたそうです。
1週間後、2週間後と変化を見ていると最も早く米も水も腐り始めたのは、3番目の無視をしたコップだったそうです。

この世界からの断絶、これこそが生命にとって最も危険なことであり、最近耳にする孤独死なども、こんな要因が考えられるのではないでしょうか。
「人」は「人」からの影響で成長し、傷つき、愛情が芽生えたりします。
絶望とは、仕事や体裁という表面的なものでの繋がりはあるけれど、心の繋がりを見失ってしまう状態であるとも言いかえられます。

しかし、絶望の淵でとどまった人は、賢者です。
なぜならその人は、死を意識したはずだからです。

全ての生命にとって、「死」という概念は究極のイベントです。
死と向き合う事で、表面的な体裁、取り繕い、嫉妬など、あらゆる心のわだかまりから解消されるのですから。
絶望という生きながら死の体験をした人は「賢者」となり、永遠の心の世界で生きることができるのだと思います。
それは優しくもあり、厳しくもあり、根底に愛情を持って人間関係を構築できる人です。

今、非常に厳しい生活をしている方、目的を見失っている方、辛い日々を行っている方が多くおります。
しかし悲観することはないでしょう、それは賢者への道を歩む過程なのですから。